「科学EYES」Vol.45No.2 掲載文
「発明起業塾・発明応援団の活動について」
発明起業塾塾長・発明応援団代表理事
工学博士 藤村靖之
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「発明起業塾」は4箇所(川崎・東京・大阪・福岡)・4年間でOB約300名(うち女性10名)になりました。7割ほどが中小企業経営者、2割が起業家予備軍(大企業社員等)、その外1割(弁理士4名、社労士2名、税理士1名、公務員4名、大学生6名等)です。300名は少ない数で、社会に影響を及ぼすには遠い存在ですが、面白い結果が出始めるには十分な数のようです。以下、活動の一端を紹介します。 |
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「発明起業家」という言葉は「発明を核にして事業を起こす人」という意味の、私の造語です。該当する外国語も有りませんから、英語で説明する時にはInvention
Oriented Entrepreneur と言うことにしています。一般の起業家や発明家との違いは、図1のように区分してみるとはっきりします。従来技術や改良技術を従来組織で行うのは「現業」です(第1象限)。従来組織で発明を事業化するのは「企業内発明家」や「町の発明家」です(第2象限)。「町の発明家」は既存の企業に発明の事業化を委ねるので、第2象限に属します。従来技術や改良技術を新組織で事業化するのが一般の起業家です(第4象限)。これらに対して、発明を新組織で事業化する人を「発明起業家」と呼ぶことにします(第3象限)。従来の技術にも、従来の組織にも制約されませんから、ユニークな事業を生み出す可能性は最大ですが、困難さも最大です。「現業」とは正に対極です。蒸気機関を発明したワットも、エジソンも、電話の発明で有名なベルも、巻き取りフィルム式カメラのイーストマンも‥‥古来、著名な発明家の多くは、実は発明起業家でした。画期的な発明は現業を脅かしますから、既存組織は往々にして発明に対して抵抗勢力となります。自ら発明を事業化せざるを得なかったのです(かく言う私も発明起業家の一人です)。 図1 発明起業家とは
1964年の東京オリンピックに始まり、1990年代中頃のバブル経済崩壊を終点とする高度経済成長時代――「お手本」「安くて勤勉な労働力」「安い為替」という“3種の神器”に守られて、奇跡と称される経済成長が日本において実現されます。主役は圧倒的多数の「現業」。少数の「企業内発明家」「町の発明家」と、ほんの僅かの「起業家」が脇役を演じました。高度経済成長時代(=良いモノを速く安く作れば売れる時代)には、新しい発明も新しい組織も不要ですから「現業」が圧倒的だったのは当然のことでした。 図2 高度経済成長時代の構図
高度経済成長は「お手本」と「安く勤勉な労働力」と「安い為替」の消滅を不可避的に招きますから、“3種の神器”も必然的に色褪せることになります。かくして、90年代後半になると、独創的で高付加価値の技術やビジネスが急遽求められて、起業家待望時代に移ります。国を挙げての支援態勢が組まれて、あまたの起業家の輩出を見ます。しかしながら、「発明起業家」は今日に至るも稀です。「大学発ベンチャー」が国策として推進されていますので、期待は持てますが未知数です。稀な理由は、「現業」に慣れ過ぎて対極の「発明起業」は苦手だった上に、「発明起業」は必要とされなかったからでしょう。発明起業家の経験者も稀ですから、プロデューサー不足という側面も無視できません。 「欧米を手本にして良いモノを速く安く‥‥という20世紀型産業モデルは最早通用しない」という国家的次元でも、「環境や安全や貧富の差の拡大を犠牲にした経済成長は最早成立しない」という地球的次元においても、「新しい豊かさ」を実現する産業構造とビジネスモデルに、旧来型の産業構造とビジネスモデルが取って代わられる必要があることは議論を待たないでしょう。となれば、「発明起業家」の輩出は大きな意味を持ちそうです。しかし、すっかり苦手になってしまった「発明起業家」が孤立無援では、ますます苦手になりそうです。そこで「発明起業家」のささやかな集団を作ってみよう‥‥というのが、「発明起業塾」を始めた動機です。何も起こらないかもしれませんが、やってみる価値はありそうです。 発明と言うと、モノの発明が連想されがちですが、発明起業塾ではモノの発明とサービス(あるいはビジネスモデル)の発明を同じ比重に置いています。最近も占いビジネスや特許ビジネスに関するユニークな特許が生み出されました。実は塾生の2割くらいは(いわゆる)文化系の人たちです。この人たちが発明に励んでいます。
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発明起業塾では、発明起業家としての基礎能力を養成すると共に、事業性の高い発明を共同作業で生み出します。基礎能力としては発明の生み出し方やビジネスモデルの生み出し方、権利の守り方等も学びますが、重点は「事業の立ち上げ方」と「センスの磨き方」です。発明起業家にとって(一般起業家にとっても)難しいのは発明でも財務でも人事でもなくて「売れない・儲からない・立ち上がらない」ということなのですが、このことだけが(世間では)教えてもらえません。名も無く貧しく美しい“貧乏起業家”が新しい事業をどのようにして立ち上げ、売り、儲けるのか?――例えば、新しい製品を“貧乏起業家”が事業化したとしましょう。“貧乏”ですから少量しか生産できません。少量では驚くほど高い原価になります。かくして、「高いから売れない、売れないから(いつまで経っても)高い」というジレンマに陥ります。このジレンマに陥って克服できた起業家は古来稀です。では、どうすれば克服できるのか?――発明起業塾で養成する基礎能力の一例です。 ビジネスモデルを考えるとき、“得意”と“儲け”が重なる処から出発するのが普通です。発明起業塾では、“いいこと”と“好きなこと”が重なる処から出発する訓練をします(儲けることは後から考えてもらいます)。新しい事業の立ち上げはそう簡単ではありません。得意と儲けが重なる処からの出発では直ぐにジリ貧になって挫けてしまいますが、“いいこと”と“好きなこと”が重なる処から出発すれば、人の応援は得やすいし、挫けにくいし、愉しい。このように、「いいことを愉しく」というのも、発明起業塾のねらいの一つです。 図3 ビジネスモデルの生み出し方
6ヶ月の現役期間中にレベルの高い事業を生み出すには限界がありますから、卒業後が本番となります。卒業後はOB会や個別のグループで自主的に活動を継続しますが、現役期間で培われた人間関係――なぜか半端ではない友情が生まれます――が卒業後の活動の支えとなります。発明起業活動を愉しく持続的に行う人間関係の形成が発明起業塾の一番のねらいですが、これまでの処はねらい通りに推移しているようです。 発明起業塾は、川崎・東京・大阪・福岡の4箇所で活動してきました。各地域ごとの活動が中心ですが、地域をまたいでのチームワークも頻繁に生じてきました。愛媛県から参加している大阪のメンバーと川崎のメンバー3人は、子供が戸外で遊ぶ玩具(内容は秘密)の新事業立ち上げを今準備しています。大阪の男女メンバーと川崎の女性メンバー、福岡の男性メンバーが意気投合してユニークなローカル・ビジネスの立ち上げを現在準備中です。その他いろいろ――こういう広がりもねらいの一つです。面白くなりつつあります。 |
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@現役 現役の活動の中心は12回の講座(月2回、各3時間)と2泊3日の合宿です。 講座の中身は私の講義が2時間、宿題発表・ディスカッションが1時間くらい。多彩な講師が入れ替わり立ち代り‥‥という一般の塾やセミナーとは趣きを異にします。講義のカリキュラムは概ね以下の通りです。 第1講座:発明起業家の物の見方・考え方・生き方 第2講座:未来を具体的にイメージする訓練 第3講座:高度でユニークな発想をする訓練 第4講座:ユニークなビジネスモデルの生み出し方 第5講座:ユニークなビジネスモデルを生み出す実地訓練 第6講座:発明の生み出し方。発明家に育つ方法 第7講座:速く安く強い特許の取り方と守り方 第8講座:(貧乏起業家のための)事業の立ち上げ方 第9講座:(貧乏起業家のための)新商品の売り方 第10講座:利益を上げる20の法則
第11講座:資金調達40の方法 第12講座:総括講義 講座では毎回宿題が出されて発表を義務付けられます。復習のための宿題は無く、予習のための宿題のみです。例えば第2講座の日までの宿題は「5年後に起こることを10個、具体的にイメージして500字以内で書き表し、次回発表してください」――ここまでなら簡単です。「但し、日経ビジネスに載っているような平凡なことは駄目です。初めて聞いた‥‥というようなユニークなことでなければ追試。抽象的な話も追試。ケチクサイ話も追試‥‥」という但し書きが付くと悩ましい問題になります。不確定な未来を具体的に表現するのは、一般の社会では下品と嫌われますが、発明起業家の世界では大切な能力です。評論家や学者が言っている“高級な”ことをなぞるのが一般の社会では普通ですが、発明起業家の世界ではアウトです。発表していただいて、ディスカッションを加えることにより、未来を具体的にイメージする訓練を行います。各自の世界観や価値観を知ることにもなります。 半年間の講座の終盤に2泊3日の合宿を行います。3人ずつのチームに分かれて、共同作業でビジネスモデルを100個(もの作り系とサービス系各50)ずつ考えてもらいます。社会性・時代性・事業性・特許性があるユニークなビジネスモデルを100個――出来上がるまでは、1日目が終わりません(つまり寝させてもらえません)。普通ですと1〜2個から出発するのでしょうが、発明起業塾では100個からスタートします。ビジネスモデルを生み出す訓練の意味もあるのですが、タクサンから出発して絞り込んでゆく方がレベルの高いビジネスモデルを生み出しやすいことを経験で知っているからです。塾生が24人いると8チームで800個以上のビジネスモデルを生み出すことになります。こんなことを4年間続けていますので、総計1万個のビジネスモデルが私の手元に在ります。数が多ければいいという問題ではないのですが、これはこれで意味のある共有財産です。合宿2日目は100個から10個、最終的に2個に絞り込んで、事業戦略を練ってもらいます。貧乏起業家であることを前提に、どうやって立ち上げるか、売るか、儲けるか‥‥が事業戦略の中心です。躓くと私がアドバイスします。完成した事業計画を発表し、全員で採点して順位を決めます。1位のチームは思い切り豪華な昼食、それ以外のチームはできるだけ惨めな昼食を一緒に頂いて合宿を終わります。ユニークなビジネスモデルと一生の思い出が残ります。 AOB会 OBになると、月に1回各地で開かれるOB会や、自発的に編成されたチームに参加して活動を続けます。活動の中心は具体的な事業や発明の実行ですが、互助会のようなことをやっている人たちもいます。メーリングリストに参加するだけのOBもいらっしゃいます。OB同士で行き詰まったら私の出番です。特許出願の相談、新事業の立ち上げ方の相談、資金調達の相談、経営上の深刻な相談(これが一番多い)‥‥段々忙しくなってきました。 B発明応援団 発明を生み出しても、商品化は困難です。売れるようにするのは至難です。そこで発明家は大企業に発明を売り込むのですが、買い叩かれます。かくして、発明は陽の目を見ません。たくさん売れて儲かりそうな商品しか出てこないので、消費者もおもしろくありません。中小製造業者も下請け仕事ばかりで(その上に仕事も減ってきて)面白くありません。大企業だって実はこのごろ面白くありません。なにか変ですね。“なにか変”なのを、“変でなく”できないか―――そこで考えたのが「発明応援団」です。 発明品が持ち込まれると、「発明応援団」は“目利き”をします――「世のためになって、ユニークで、商品性が高いか?」、ついでに「発明者はいい人かな?」。「YES!」となると応援開始。まずは特許権の確立や商品化をサポートします。次に製造を受け持つ中小製造業(いい人でないとダメ)をアレンジします。候補の中小製造業と発明家と発明応援団とで「なるべく少ない数でなるべく安く」というナゾナゾを解きます。「2千台まとめて作れば単価1万円でできる」というような(消費者が歓迎してくれそうな)結論がでたら、いよいよ本番。“サポーター”が周囲に呼びかけて、2千台の予約注文を集める活動を開始します。“サポーター”は自由参加(会費無料、報酬無し)の一般消費者です。発明品の解説や予約注文の一切はインターネットを介して(お金を掛けないで)行います。「2千台まであと○○台」のような途中経過もインターネットでお知らせします。発明家の人となりとか、試作の進み具合も実況中継します。2千台(これが予定数量だとしたらの話ですが)に到達するまでは(やせ我慢してでも)製造開始はしません。2千台に達したら晴れて製造開始。出来上がったら、予約注文してくださった消費者に直接届けます。届いてから代金をいただきます。予約注文は途中でキャンセルしても結構です。誰も儲からないのですが、だれも損しません。これが「発明応援団」のしくみです。 「発明応援団」は03年秋にNPO法人として認可されて活動開始しました。NPOらしく「いいことしかしない。中身はすべてオープン」で活動します。すでに5つの発明品を“目利き”して、インターネット上で予約注文の受付を開始しています(http://www.hatsumei-npo.jo)
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5.発明起業塾の運営 発明起業塾はNPO法人発明応援団と日本起業家協会の主催、神奈川県・川崎市・川崎市商工会議所・大阪市等のバックアップにより運営されています。川崎事務局を日本起業家協会(担当:浦上哲平さん)に、大阪事務局と全国事務局を潟Vーズディーコンサルティング(社長:能塚善之さん)に、福岡事務局を(有)ぎえもん(社長:辻捨丸さん)にそれぞれ委託しています。 |
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4箇所(川崎・東京・大阪・福岡)で4年間でOB約3百人になりました。特許かされた発明は焼く30件、起業した人は3人、自分が経営する企業で新事業を始めた人が11人、現在進行中のプロジェクトは28件‥‥といった処ですから、やっと芽が出始めた段階です。花盛りには遠い状態ですが、愉快な話はタクサン有ります。起業家になった佐藤和浩さんを一例として紹介しましょう。 4年前、26歳の佐藤さんは中堅機械メーカーの開発エンジニアでした。恵まれた待遇で自由に仕事をさせてもらえましたので、会社に対する不満はまったくありませんでしたが、起業の夢を抱いていましたので発明起業塾川崎1期の複製として応募します。塾の合宿で佐藤さんは当時65歳の木村照夫さん、60歳の永富秀旺さんという熟年起業家とチームを組みます。100個のビジネスモデルから出発して、最後の1個に絞り込んだのが「流体力学ベッド」でした。 合宿での次の作業は“商品コンセプト”作りです。「身体の圧力を均一に支えてくれて(だから夢の寝心地)、畳1枚大のコンパクトさで、50キロ以下と軽く、6万円以下と安い」に決定。夢の寝心地を既に実現しているウォーターベッドが日本では普及していない(普及率0.5%以下。アメリカでは30%)原 じきに12回の講座も終了して全員めでたく卒業。チームに分かれて事業化の準備段階に入りました。「流体力学ベッドチーム」誕生です。毎週火曜日の夜7時に集合して深夜まで試作・実験です。合宿で考えた“発明”は重大な思い違いをしていることに、すぐに気づきます。それから試行錯誤が始まります。20回目でやっと壁が破れて、25回目の試作・実験で「これならイケル」と私からの“お墨付き”が出て
“万歳三唱。ここまで辿り付くのに1年半です。この「流体力学ベッド」の原理は(説明省略しますが)絶妙です。
こうして完成された発明は直ぐに特許出願。自分で書いて電子出願ですから、書き始めて3日後には出願番号が送られてくる速さです。4ヶ月後には権利は確立しました。 特許権が確定しましたので、次は資金調達です。「川崎起業家選抜」に応募。見事に優秀賞を獲得して2000万円の制度融資の権利を確定しました。創業資金も確定したので、2002年1月1日、晴れて「(有)流体力学工房」を川崎市内に設立。佐藤さんが独立して代表に、木村さんがパートナーとなって参謀役を務めます。若い起業家の誕生です。既に流体力学枕の商品化に漕ぎ着けて、発明応援団の支援を受けて販売活動を開始しています。 |
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発明起業塾の現役活動は川崎・大阪・福岡の3箇所に絞って継続します。OBが300名になりましたので、OB活動のほうにやや重心を移して行きます。発明・起業テーマは「いいこと」であれば何でも良いのですが、なんとなくQOLビジネスが中心になりそうです。QOL(Quality of Life)というのは環境・福祉・安全や心の豊かさなど、本当の意味での生活の質を向上するビジネスのことです。QOLビジネスをローカル型ビジネスあるいは発展途上国とのフェアトレード型ビジネスとして展開する傾向が強くなりそうです。「流行技術・先端技術・成長ビジネスを追って急成長も目指す」都会型ビジネスとは対照的なスロービジネス集団になりそうです。 |