99年11月10日 / 「日本の特許‥‥やっと変わります!」
5年前に日本の某大企業相手に私が起こした特許侵害訴訟は、未だ継続中です。5年間で公判の回数は15回、延べ12時間(12時間なら1日で済みそうですが‥‥)。 「10年がかりで、1億円用意できなければ、結局は泣き寝入り‥‥」と聞いていた話は本当のことでした。仲間のベンチャー企業家たちは、「即断即決のアメリカ」で訴訟を起こすことに切り替えてしまいましたが、日本人同士の争いを外国の法廷で裁いてもらうことへの抵抗感と、特許法改正を主張し続けてきた立場とからの、やせ我慢です。おかげで、多くの発明家が泣かされてきた「真似するものが得をする国」の実態を、身体で感じることができて、特許法改正の主張に迫力がつきました。でも、終戦後の貧しい時代ならとも角、「環境と創造の21世紀」を目前にして、これでは寂しいですよね。
“プロパテント”という言葉をご存知ですか?最近よく耳にするようになりましたよね。「早く、広く、強い特許」というあれです。80年代前半に、失意のどん底の米国で、起業家の輩出に最後の頼みの綱を託すに際して、時のレーガン政権が断行したのは、「規制撤廃」と、「特許法の改正(プロパテント)」と、「破産法の改正(チャレンジして失敗した人に、再チャレンジの機会を保証する等)」の3つでした。それまでのアメリカは、今日の日本よりもずっと「自由」で、「早く広く強い特許」で「再チャレンジし易い」国だったのですが、その程度では(あのアメリカですら)発明家・起業家の台頭は望めなかったのです。そして‥‥‥発明家・起業家が表舞台に踊り出て‥‥‥アメリカは蘇っていきました。発明家である私が、大企業の研究リーダーから起業家に転じたのも、米国のそういう胸のすくような光景に勇気付けられたからです。「10年後、日本もきっとこうなる‥‥‥」と。
10年後には何も変わりませんでしたが、一昨年秋、特許庁の荒井長官(当時)からお話を頂きました。「プロパテントにしないと日本は‥‥‥、相談に乗ってくれ」と。諦めずに訴え続けると、流れが変わろうとする時にはこういう役割が回ってくるのだなと嬉しくなりました。昨春には、特許庁の工業所有権審議会の中に、企画小委員会が設けられ、私も委員に加わって、プロパテント化の枠組みが討議されました。「ベンチャー企業躍進の助けになるような特許法でなければ‥‥‥」というのが、特許庁の一貫したスタンスでした。時には、自民党の若手国会議員団から、特許法の勉強会の講師役を頼まれたり(朝の8:30からですよ。自民等は偉い!見直しました)‥‥‥良く判りました。日本の特許法は変わります。先ずは「早く」次いで「広く」。「強く」は(司法絡みですので)、最後にきそうです。詳しい話は、この欄で別な機会にお伝えしますが、出願の電子化のように、テクニックで片付けられることから始まりました。審査請求の猶予期間を7年から3年に‥‥というような、特許庁の範囲でできることが次に決まりました。特許侵害を判定して罰する方は、未だだいぶ先の話になりそうです。アメリカから遅れること18年‥‥といったところでしょうか。先は長いのですが、やっと面白くなってきました。
特許法の改正は、「たかが特許法」といった小さい話には留まりません。「真似するものが得をして、(お金持ちになって)尊敬される」社会から、「新しいものを生み出す者が報われて尊敬される」社会へと変貌し、そうすると、学校教育も、知識・成績偏重教育から、創造性教育へと変わらざるを得なくなり、創造の基盤となる「物事の本質の理解」と、「好奇心・情感の育み」を教育の基本に据えなければならなくなります。起業家も輩出するでしょう。既存の中小製造業も奮い立つでしょう。日本が尊敬される国として蘇ります。
ここで、手綱を緩めずに、特許法改正の主張を叫び続けましょう!