2000年63日 / 「ビジョン・クエスト/失敗の巻」

 発明起業塾の合宿を、(箱根のそばの)足柄山で行いました。2泊3日の、この合宿は、発明起業テーマを創出して、事業戦略までまとめあげてみる‥‥‥という、実践課程です。アッと驚く発明もでてきて、成果は上々(特許出願が済んでから披露します)。 その上に友情も深まって、塾生のみなさん、大いに満足したようです。 この合宿で、やってみたかったことの一つは、“ビジョン・クエスト”――自然の音に耳を澄ますと、大いなる神秘のメッセージが聴こえる‥‥‥というアレ――アメリカインディアンの伝統儀式です。 ビジョン・クエストには、自然の音しか聴こえない場所が必要ですので、ロケハンをしました。 足柄山は自然に恵まれていて、とてもいい所なのですが、何処に行っても車の音が届いてしまいます。 明け方なら良かったのでしょうが、熟睡中で無理(夜遅くまで“交流会”を楽しんでしまうので)――ちょっと心掛けが悪かったようです‥‥‥という次第で、(チョッピリ)ビジョン・クエストの真似事をして、(タップリ)“能書き”をお伝えしました。 以下は、その“能書き”。

 ビジョン・クエストの儀式は至ってシンプルです。 一人が一つづつの円形の輪を描き、輪の上に等間隔に10個の石を置きます。これで、邪悪なるモノが入れない“結界”が張られます。輪の中央に端坐して、ひたすら、自然の声に耳を傾けます。初めは鳥の鳴き声、獣の声、そして木々のざわめき‥‥‥やがて、木々の語りが聴こえ‥‥ついには、“大いなる神秘”からのメッセージ――生き方の指針が伝えられます。心身の消耗で、限りなく死に近づくほど、“大いなる神秘”からの啓示が得られやすいとされ、アメリカ・インディアンの実際のビジョン・クエストは、孤独と飢えと恐怖に耐える、凄まじいものだそうです。 

アメリカインディアンも、日本のアイヌも、中南米のインディオも‥‥‥先住民族は、呼び方こそ違え、ビジョン・クエストのような風習を持っています。 先住民族の人たちにとっての“神”は、“大いなる神秘”なのですが、人間よりも動物を、動物よりも植物を、“大いなる神秘”に近い存在として崇めます。 ビジョン・クエストで、動物の声から、植物の声へと耳を澄ましてゆくのは大いなる神秘に近づくプロセスです。彼らの踊り―――鳥になったり、熊になったり―――も、“大いなる神秘”に近づく神聖な儀式です。 この踊りを幼稚と、“征服民族”(アメリカ人や日本人やヨーロッパ人)は笑います(私も、若い時に見て、笑った一人です)――人間よりは動物を低い位置に置いて蔑んでいるからでしょうか。 人間が(神に次ぐ、時には神と同列の)最高位で、次が動物、その下が植物で、最下位が“神秘なるもの”――先住民族と丁度サカサマです。 最高位の人間同士も、利権を賭けて闘います(民族同士、企業同士、同級生同士‥‥)。 征服によって得た安穏は、覆されることの不安を常に伴います。 不安から逃れるための快楽は、不安を更に増幅します。征服民族の代表格のアメリカにおいて、若者の間でビジョンクエストが最近流行ってるのは、“征服型”の発想の反省と反動の現れと見ても良さそうです。

アメリカ・インディアンが、儀式の始めと終わりに、必ず唱える「ミタケ・オアシン」――私に関わるすべてに祝福を――という祈りの言葉は、獣も草も岩石も人も、“大いなる神秘”の創造物であって、すべてが神秘な生命を宿し,影響しあっている‥‥‥という、世界観の総括と言えそうです。私たちのビジョン・クエストは、命がけの凄まじいものではありませんから、所詮“真似事”の域を出ません。“大いなる神秘”からのメッセージが聴こえてくるはずもありませんが、バランス――自然環境とのバランスと、心の中のバランス――が整えられる効果は大きいようです。 感受性は鋭いけど不安が無い‥‥‥ウン、いい発明も生まれそうだぞ!

ビジョン・クエストを(今度は車の音が聴こえない処で)、どなたか、一緒にやってみませんか? では、「ミタケ・オアシン」(合掌)