2000年4月15日 / 「無農薬有機コーヒー/カルロスさんの闘い」

 ジャカランダ農場のコーヒーの実が、赤く色づき始めています。すっかり赤くなる5月から8月までが収穫の時期だそうです。 南天の実を一回り大きくした感じの、齧ると甘い(無農薬だから平気で齧れます)、柔らかい実です。 実から種を取り出して干せばコーヒーの生豆の出来上がり‥‥‥と書くと簡単なようですが、これがオーがニック(無農薬有機栽培)となると、堆肥づくり(1本のコーヒーの木に4〜5キロの堆肥が必要)とか、雑草や病害虫との戦い‥‥ナドナド、大変な作業が続きます。ですから、誰もやらない。 農薬を撒けば雑草も病害虫もイチコロ、化学肥料なら買ってきてまくだけ、経費も格安―――しかし、大地はやせ衰え、子供の体の中は化学物質だらけ―――というわけです。 

 カルロスさんの曽祖父にあたる、ジョン・マノエル・フランコが最初のコーヒー樹を植えたのが1856年、それから100年の時を経て、ブラジルの農業は、農薬と化学肥料の登場によって、大きな転換期を迎えました。 「ブラジルの奇跡」と呼ばれた1968年から1974年の急激な高度成長の陰で、1.3

億ヘクタールもの広大なブラジルの耕地を舞台に、ドイツやアメリカ企業による農薬や化学肥料の熾烈な販売合戦が展開されました。企業が派遣した農学者が実験データを持って農場に出没するなど、

カルロスさんのジャカランダ農場でも、メーカーの営業は日増しにエスカレートしていきました。

 周辺の農場が次々に農薬を導入していく状況にあって、農薬に対するカルロスさんの危機感は募るばかりでした。除草剤を散布した場所で見た小鳥の死骸。農薬散布されたコーヒーの実をうっかり食べて、口の中が腫れ上がるような感触を味わったこと……そうした体験から、自分の農場ではごく少量の農薬しか使わないように心がけていました。 そんな矢先、カルロスさんの次女テルマが可愛がっていた7頭の牛が、農薬入りの水を飲んで死ぬというショッキングな事件が起こりました.。その2年後、当時サンパウロ大学で生化学と薬学を学んでいたテルマから、農薬の取り扱いに関する細かい注意が書かれたレポートが送られてきたのです。レポートに目を通したカルロスさんは、「農薬の使用は、生産者にとっても、消費者にとっても自然環境にとってもよくない」と判断。1978年から段階的に使用を減らしていって、1983年を境にジャカランダ農場ではまったく農薬は使われなくなったのです。

 農薬や化学肥料メーカー、大量にコーヒー豆を生産できる巨大農場と、それを買い占める商社だけが儲かるように作られた近代農業のシステムそのものへの激しい憤りを、カルロスさんは抱いていました。しかも、化学肥料を多用することは、一時的には安定した収穫を約束してくれますが、最終的には土壌のバランスを崩し、地力を衰えさせます。病害虫が発生し、結局は殺虫剤や殺菌剤に頼るという悪循環に陥ってしまいます。 それに比べて有機農業は自然を痛めません。多くの手間が必要とされるため、たくさんの人々の仕事をつくることもできます。ただ、即効性のある化学肥料から有機肥料への過渡期では、大幅に収穫が減少するというリスクはつきまといます。そこで、カルロスさんは農場経営のダメージを最小限に食い止めるため、86ヘクタールの耕地を4つの地区に分けて、段階的に有機栽培への切り替えを試みました。そして、1996年にはすべての地域で有機栽培コーヒーの生産が可能になったのです。

 「次の世代に豊かな自然と希望を残すことこそ本当の豊かさです」と語るカルロスさん。カルロスさんの長年の努力が実り、オーガニックコーヒーはブラジルで市民権を得て、徐々に増えているとはいうものの、その比率はたったの0.%(エッ!)。 カルロスさんと中村隆市さん(カルロスさんの日本のパートナー。ジャカランダ農場のコーヒーの8割は中村さんが仕入れて日本で販売しています)の奮闘は、まだまだ続きそうです(頑張れ、カルロスさん、中村さん!)。

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