2000年4月1日 / 「地球の裏側が表側?」
ブラジルにきています。片道29時間はウンザリする長さでしたが、「地球の裏側に‥‥‥」という感覚に浸るには、このウンザリが、大いに助けになります。なにしろ、“裏側”を実感するのが目的の半分‥‥という旅なものですから(忙しい方には叱られそうです)。
日本が“表側”と思っているから、ブラジルを“裏側”と言うのでしょうが、いつも“表側”にいると、裏側は“裏”でしかない―――つまり、関心の対象外で、非常識。 これは、もしかすると、日本中心にものを考えすぎたり、本当は当たり前ではない日本の有様が、“当たり前”にになり過ぎる惧れも有りそう―-―で、“裏側”に行って、裏が表になるくらいの期間は滞在して‥‥‥というのが、南米やアフリカに時折出かけたくなる(恰好つけた)理由です――本当の理由は、ただ面白いから。
年中暑苦しくて、汚くて(道路は泥だらけ、家の中は虫だらけ)、不便で(コンビニは無いし、テレビのチャンネルは少ないし)、人は怠け者で品が悪くて‥‥‥‥と、“表”から“裏”を見ると、そういうことなのですが、“裏が表”になると、澄んだ青空に、クワッと照りつける太陽、地平線まで届く緑の大地、足に柔らかい土の道、生物は多様で、人々は朗らかで、ゆったりと生活して‥‥‥‥どちらが良いとか悪いとかという問題ではなくて、何だか、自然って、人間って、こういうことかな‥‥‥‥という気に、いつもなります。
夜になると、まさに“満天の星”(この言葉を久しく忘れていました)。南十字星が輝いているし、北斗七星は見えないし――南半球だから、これは当たり前――当たり前でないのは、見える星の数と明るさが桁違いということ。24時間営業のコンビニはなくっても、この方がやっぱりいいかな‥‥‥‥と、やっと、日本が“裏側”になってきました。
日本が裏側になる――そうすると、当たり前だったことが当たり前ではなくなってきて、当たり前でなかったことが当たり前になってきて‥‥‥素直にものが考えられそうです。 まさに「あべこべの国」の世界です。「あべこべの国」というのは、長田弘さんの「眠りの森」と題する詩の一篇です。
大好きな詩ですので、講演会などでよく引用させていただいています。
いまはむかし あるところに あべこべの くにがあったんだ
はれたひは どしゃぶりで あめのひは からりとはれていた
そらには きのねっこ つちのなかには ほし
とおくは とってもちかくって ちかくが とってもとおかった
うつくしいものが みにくい みにくいものが うつくしい
わらうときには おこるんだ おこるときには わらうんだ
みるときには めをつぶる めをあけても なにもみえない
あたまは じめんにくっつけて あしで かんがえなくちゃいけない
きのない もりでは はねを なくした てんしを
てんしをなくした はねが さがしていた
はなが さけんでいた ひとは だまっていた
ことばに いみがなかった いみには ことばが なかった
つよいのは もろい もろいのが つよい
ただしいは まちがっていて まちがいが ただしかった
うそが ほんとうのことで ほんとうのことが うそだった
あべこべの くにがあったんだ いまは むかし あるところに
ブラジルにきている小さい方の目的は、「有機無農薬農産物のフェアトレード国際会議」への参加なのですが、今日開かれたこの会議の、最後の講演を私が受け持ちました。講演の最後に、この「あべこべの国」の詩を披露させていただいて、
子どもたち 孫たちを持つ日本の親たちには この「あべこべのくに」を
「いまはむかし とおいところ」 の物語にする 義務と責任が確実にあります
子どもたち 孫たちを持つ南米の親たちには この「あべこべのくに」を
「いまはむかし とおいところ」 のままにする 義務と責任が確実にあります
地球の反対側の親同士 手を結んで 子供たちと地球の未来を守りましょう!
と締めくくらせていただきました。