2000年1月29日 / 「才能を育むウィーン方式」

音楽の話を前回のこの欄で書いている内に、ウィーンでの、ちょっといい話を想い出しました。2年半ほど前の夏の話です。

 正確に弾く、お手本のように弾く、欠点を直す‥‥‥音楽の教育はだいたいこうです。ごく稀には名演奏家(コンピューターのような――正確無比の名演奏家?)も育つのでしょうが、圧倒的多数の音楽嫌いをも育ててしまっているようです。 欠点を直す教育とは、「馬鹿、馬鹿」と言われ続けることでしょうから、自信を失います(馬鹿と3回続けて言われると、たいていの人は自分は馬鹿かと思ってしまいます)。 そこにもってきて、「お手本のように」‥‥というわけですから、自分で考えて(あるいは感じて)表現しようとする“個性的な表現力”――創造力と言い換えてもよさそうです――が育たない(時には殺される)。「正確に」‥‥も技術的には必要なことでしょうが、幼少期には、つまらない。自信と創造性(個性)と面白さを奪われては、音楽嫌いになる方が正常で、長く音楽を続けられる子供の方が、異常のように思われます。よほど忍耐強いか、よほど教育ママに従順か(たいていは後者)のどちらかでしょう。

 「正確に」、「お手本のように」、「欠点を直す」‥‥といのは、考えてみると音楽の世界だけの話ではなくて、教育全般についても言えることのようです。私の専門の自然科学の分野でも、そういう教育をされてきたような気がします。こういう教育からは、勉強好きと発明家が生まれるはずがありませんから、勉強好きは“変わり者”、発明家に至っては“奇人・変人”扱いです(奇人・変人が多いのも確かですが)。

 表現力豊かな演奏家を育てる教育というのは、なにか、今の教育とは違うことのような気がして、

アップル理論に辿り着いたことは、前回のこの欄で述べました。ドイツでは日本と同じ教育が行われていることに驚いた話も紹介しました。ドイツは日本だったのですが、ウィーンは日本ではありませんでした。ウィーンでのセミナーに娘を参加させた時の話です。ノエル・フローレンスさんという、有名なピアニスト(教育者として高名)の指導を受けられるチャンスということで、2週間ほどのそのセミナーに、当時中学3年生の娘を参加させ、最後の何日間かは、私もつき合わせてもらいました。

 フローレンスさん――高名な方なのに横柄ではないのです。私に対してだけではなく、娘に対しても、他の生徒に対しても“対等”なのです。当たり前のことのようですが、日本では(ドイツでも)高名な音楽家は例外なく、生徒や親に権柄づくですから、“高名で対等”は驚くべきことです。その上、教えることに、ひたすら熱心です(“高名で対等”な方が、“熱心”でないはずがありませんが‥‥)。娘に対する指導と、他の外国の生徒(みんな大人)への指導を見学していて、嬉しくなりました。欠点を直すことではなく、個性を見つけて伸ばすことが、指導の中心なのです。叱るのではなく、誉める――弾かせてみて、有る個所を指摘して、「そこが素晴らしい! 個性的に表現している。私はこう解釈したけど(と弾いてみせて)、あなたの解釈の方が素晴らしい」‥‥といった具合です。勿論誉めているだけではなく、「その解釈をもっと訴えるには、‥‥のように工夫すれば‥‥」というアドバイスや、「ここは、どうして、あそこのように、表現しないのか?あなたならできるはずじゃないか。今の演奏はただ正確に弾いていただけだ‥‥」と手厳しい注意‥‥等々、聴講していて、「そうこなくちゃ!」と拍手を送りたくなるような指導でした。

 「娘はどういう訓練をすべきか?」という、私の質問に対しても、一生懸命考えて「彼女の才能は○○○ということだ(私の意見と合致)。これを更に伸ばすために、この2年間に□□□の訓練をするのが良い(ナルホド!)」というような話ばかりで、「×××の欠点を直すために」というような話は皆無です。「欠点を直す」教育のもとで、自信を失いかけていた娘は、外国の生徒たちの前で一番誉められて、自信をつけて帰って来ました。

 音楽教育は斯くあるべし‥‥と自信に満ちていた私も、ドイツですら「斯く」ではない現実に、自信が揺らぎはじめていたのですが、ウィーンに行って、娘以上に自信をつけて帰ってきました。