匹の いきものが うまれた。 みんなで かわいがって そだてた
いきものは どんどん 大きくなって、みんなを ぱくぱく 食べはじめた
それでも みんなは そだてつづけた
―――そしてみんな 食べられてしまった・・・とさ。
 (グローバル化といういきものと、電脳化といういきものだけが 残った)

 


 ホドホド快適・便利
    

   20世紀は「電気文明の世紀」でした。 それまで人力や蒸気などを主なエネルギー源として利用していたのが、電気を利用することで、人々の生活は格段に快適・便利になりました。 その恩恵は、あらゆるものが電化され、自動化されるに至っている現代の日本人こそが、もっとも受けています。 その恩恵をすべて否定してしまうことなどできませんし、それは現実的でもありません。

 ただ、すこし快適・便利になりすぎたのかもしれません。 ここ数年、夏が近づくたびに電力不足を心配して「電気を大切に」といったテレビCMが流されていますが、私たちは必要以上に快適・便利を求めて電気を使っているのではないでしょうか。 電気エネエルギーに限りませんが、地球規模でエネルギー資源の枯渇や温暖化が叫ばれるなか、何か違う選択肢が必要なのではないでしょうか。
              
  その選択肢の一つが「非電化」です。 20世紀に進展したのは電気工学だけではありません。19世紀以前には考えられなかったような技術がたくさん生み出されました。 それらの技術を使うことにより、ホドホドでよければ、非電化でも快適便利は実現できそうです。 箒(ほうき)や圧力鍋のように昔からあるものを見直してみる方法もあるでしょう。

 もとより、電化製品の快適・便利には及びもつきません。 手足や技を使うことも格段に多くなります。 でも、手足や技を使うことが、愉しさや健康をもたらすことも多そうです。 共同作業が増えて、ぬくもりのある人間関係を築けるかもしれません。

 「電化と非電化、どちらがいいか悪いか?」という辛い選択ではなく、「電化と非電化、愉しい方を選ぶ」というのは如何でしょうか? 貧しい昔に戻るのではなく、新しい豊かさを実現する、そのための選択肢の一つとしての非電化という考え方です。 
        
                   電気を否定  ⇒  愉しい方を選ぶ

 ローカル化
      

   グローバル化と電脳化の波が世界中を覆いつくそうとする勢いです。 市場原理で動くグローバル化は、ともすると世界規模での弱肉強食化に繋がります。 一人だけが勝者になり、残る全員が敗者になる社会、貧富の差が拡大する社会、人と人との憎しみが増幅する社会に陥る危険を常に孕んでいます。

 電脳化というのは、「いつでも・どこでも・だれでも・なんにでもマイクロエレクトロニクス」という社会を目指すことです。 快適・便利の極み(?)の社会です。 人の替わりにコンピューターやロボットが仕事をこなしてくれます(では、人はなにをするのでしょうか?)。 

  工業化と2人三脚で走ってきたグローバル化は、電脳化とセットになることにより、さらに加速されそうです。 ハイテック競争マネーゲームに勝ち残った国や会社が圧倒的な力を持ち、支配力を発揮しそうです。 貧しい国は、ハイテック競争に勝ち残れないどころか、競争への参入すら困難な状況に留められます。 貧しい国はますます貧しくなり、失業者がますます増えそうです。 人と人との争いも、ますます増えそうです。 エネルギーの使用量もますます増えそうです。

  グローバル化と対極をなす流れもあります。 共生原理で動くローカル化です。 生産活動や経済活動は地域で循環することを基本にして、足りない部分を広域で補います。 環境と雇用を地域レベルで両立させます。 人と人とが、人と自然とが共存して、持続的に平和に生きる社会を目指します。 ヨーロッパの国々は、10年ほど前から、この方向に大きく舵を切りましたが、グローバル化の旗手の米国内でも、あるいは日本国内でも、無視できない勢力に育ちつつあります。 

  ローカル化との相性が良いのが非電化です。 ハイテックではありませんから、一部の先進国・先進企業でなくても、後進(?)の地方でも実現できます。 市町村単位くらいの小さな地域レベルでも生産することが可能です。 エネルギーの消費量が減りますから、エネルギー供給そのものの地域自給率を高めることも可能になります。

                グローバル化 × 電脳化  ⇒  ローカル化 × 非電化

 消費者参画
      

   日本のような先進(?)工業国では、消費者と生産者の距離は年毎に開いています。 例えば、食料。 日本の食料の自給率は40%以下。 自県内の自給率はそのまた40%以下です。 フードマイレージという言葉は、食料の重さに運ばれる距離を掛け算した数字ですが、日本のフードマイレージは群を抜いて世界一。 国民一人当たり一日に約20トン・キロメートルという想像を絶する数字です(この移動のために、一人当たり一日に約2リットルの石油を消費します)。 物理的な距離に比例して、消費者と生産者の心の距離も開きます。 牛肉の偽装表示に見られるように、消費者の姿が見えないと、生産者は多くの誘惑に負ける傾向があります。 しからば、牛肉にマイクロチップを埋め込んで、ルートを誤魔化せないようにする――いま進んでいるのは、こういう方向なのですが、なにか訝しい話ですね。 疑いを増幅するのではなく、信頼を増幅する知恵の方がスマートと思うのですが、いかがでしょう。

 消費者と生産者の距離をもっと縮めてみてはどうでしょうか。 生産をローカル化する――農・林・水産業だけではなく、工業も、エネルギー供給も、ローカル化の比率を高めます。 自分で作れるものは愉しみながら作るという自給率も高めます。 例えばマイホーム。 地元の木を使い、家族や友人が主体になって、時間を掛けて(お金はあまり掛けないで)じっくり、納得の行くマイホームを作ります。 モノが壊れたら直ぐ捨てるのではなく、なるべく直して使う。 直してでも使いたくなるような商品を作ります。 壊れたら直しやすいように初めから作ります。 直すところに雇用が生まれるかもしれません。

 非電化製品は、自分で作りやすい、直しやすいという点で、消費者参画型の状況を生み出しやすい側面があります。 消費者と生産者の心の距離も縮まるかもしれません。

            生産者←←←← →→→→消費者  ⇒  生産者→→ ←←消費者 

 捨てない文化
       

   環境問題というと、直ぐに生ゴミリサイクルが連想されます。 ことほど左様に生ゴミとリサイクルは今日、ポピュラーなテーマです。 しかし、生ゴミもリサイクルも、モノを捨てすぎるから生じる問題です。 日本人は平均すると食事の25%を食べ残すそうです。 カロリーベースでは、2億人の子供が飢えないで済む量に匹敵するのだそうです。 リサイクル自体はすばらしいことですが、捨て過ぎをそのままにして(お金とエネルギーを掛けて)リサイクルにまい進‥‥というのは、なにか訝しい話です。

  50年保つマイホームを建てるとすると、50年後には家一軒分に育つだけの木を植える‥‥大正時代くらいまで、日本人がマイホームを建てる時の常識でした。 「自然が回復するのに要する時間より長く使う」――これが、環境問題を生じさせない生産と消費のあり方なのですが、 この当たり前の考え方は高度経済成長時代に忘れ去られてしまいました。 ドンドン買って、ドンドン捨てることが経済を大きくするとして礼賛されました。     

 ノーベル平和賞受賞者でケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさんが、今年の3月4日、国連の「女性の地位委員会」閣僚級会合で演説し、日本語の「もったいない」を環境保護の合言葉として紹介し、会議の参加者とともに唱和しました。 マータイさんは2月に来日した際、「もったいない」という言葉を知って感銘を受け、世界に広めることを決意したのだそうです。 この話を聞いて顔を赤らめなかった日本人はいないのではないでしょうか。 もったいないことを世界一やっているのが、日本人なのですから。

 「愛着がわいて捨てたくなくなる商品」、「壊れても直せば長く使える商品」、「捨てても土に戻る商品」――これが、環境問題を生じさせないモノ作りの考え方と言えそうです。  非電化製品は、シンプルの極みですから、壊れにくい上に、壊れても直しやすいという特徴があります。 「捨てない」あるいは「もったいない」文化に合っていると言えそうです。
             
                  
ドンドン買って、どんどん捨てる ⇒ 捨てない

 健康と環境を守る
       

   室温が変化すると体温が変化する児童が5%――という、ギョットするような調査結果が報告されました(2002年5月1日毎日新聞)。日本体育大学の正木名誉教授が、東京の中学生を対象に調査しました。人間は恒温動物、爬虫類は変温動物‥‥と確か習ったはず(オカシイ!)。「機械が室温調節をやってくれるから自分で調節する必要が無い。生体では不必要な機能・器官は退化する」というのが、5%の原 でした(コワイ!)。

「人間にとって理想的な室温や湿度をいかにして保つか?」――空気調和衛生工学の50年来の命題はこれでした。空調技術者は知恵の限りを尽くして実現に努力しました。結果、機械は進歩して、ボタン一つで「いつも一定」にコントロールしてくれるようになります。人間はなにもしなくなりました。私も「理想的な室温や湿度‥‥」を信奉していました。温度・湿度を一定に保った部屋では、その温度・湿度を好む微生物(カビやダニ等)だけが異常繁殖して、一旦異常になると、異常が異常を呼んで、オゾマシイ状態になることを、自身で行った2年間にわたる実態調査研究で気が付くまでは‥‥のことです。温度・湿度・酸素濃度・イオン濃度‥‥を「いつも一定」に保つことは、微生物バランスを崩すばかりではなく、身体の免疫抵抗力を弱めることも分かりました。一定ではなくて「ほどほど変化する」のが健康にも、発育にも良かったのです。「高気密・高断熱の家に全自動エアコン」は、どうやら“理想の家”ではなかったようです。   

   このような話は枚挙にいとまがありません。 快適・便利が健康にもよいとは限りません。 どちらかと言うと健康を阻害することの方が多そうです。もっと自然を取り入れ、身体を動かす――私たちの遺伝子は20万年くらい前からほとんど変わっていないのですから、この20万年間に私たちの祖先が慣れ親しんできた環境を、私たちの遺伝子も歓迎してくれそうです。

 LOHAS(Life Style of Health and Sustainability の略)という言葉がアメリカで生まれて、ささやかな流行語になり始めています。 マーケッティング戦略から生まれた言葉で少し嘘っぽいのですが堅いことを言うのはよしにしましょう。LOHASというのは健康持続性を両立するライフスタイルのことですが、「持続性」の中身は、環境や産業や生活や人間関係が持続的であるということです。 「健康」と「持続性」とは別々の概念のように考えられますが、実は重なった部分の多い概念です。 持続性を実現するには、循環と共生が不可欠です。 この循環と共生こそが、私たちの祖先が慣れ親しんできた環境――すなわち、私たちの遺伝子が歓迎してくれる環境ですから、健康にも良い‥‥というわけです。

 非電化製品は自然の素材を使い、自然の環境に依存します。 「ボタン一つで」というわけにはゆきませんから、ホドホドの運動を伴います。 ホドホドの運動が肥満や成人病や痴呆症を招かない有効手段であることは間違いないでしょう。 少し便利を捨てると得るものがたくさんありそうですが、「健康」と「ぬくもりのある人間関係」が一番大きな「得るもの」かもしれません。
 

                 快適・便利・スピード ⇒ 健康と持続的環境

 プロセスを愉しむ
 
非電化珈琲焙煎器を作ってみました。 いま、この珈琲焙煎器がささやかなブームです。 コーヒーの生豆を、この焙煎器で3〜4分かけて、自分好みに煎り上げます。 煎りたてのコーヒーをミルで挽いて、淹れる。 「煎りたて、挽きたて、淹れたて」のコーヒーは、酸化するチャンスがありませんから格段に美味しいし、健康にもいい――しかし時間もかかるし手間もかかる。 時間と手間を惜しむ人にとっては苦痛の極みでしょうが、プロセスを愉しむ人にとっては贅沢の極みなのかもしれません。 結果を急ぐばかりではなく、ゆっくりとプロセスも愉しみたい――1960年以降、寸刻を争うようにして働いて私たちは高度経済成長を実現しました。過労死は勲章と褒められた異常な時期も経験しました。そして自由な時間をゆったりと過ごしたい気分に今はなっています――スローライフ派の人たちが増え始めたゆえんです。
  この「プロセスを愉しむ」というのが、非電化の特徴の一つです。 ですから、非電化製品を作る時には、いかにプロセスを愉しめるようにするかを工夫します。 珈琲焙煎器の場合には、 手で握って左右に振る――心地よい重心の位置や重さを工夫します。 コーヒーの豆が転がる音色も工夫します。 いい香りが立ち昇るようにも工夫します。  技を磨けば、ますます美味しく煎ることができる――こういう要素も残します。 
                       
                
結果を急ぐ ⇒ プロセスを愉しむ 

 先ずは無駄を無くす

  電力はあまりに強力ですから、電力に頼れば大抵のことはできてしまいます。 電気に頼りすぎて、負荷そのものを少なくする技術や習慣が衰えてしまいました。 例えば家――昔の日本建築でしたら夏は扇風機だけでもホドホド快適に過ごすことができましたが、今日の多くの建物では扇風機だけでは発狂しそうになります。 このような大きな(時には無駄な)負荷をそのままにして、非電化で快適・便利を実現することは困難です。 非電化製品は、自然のエネルギーや人力を使うので、電力に較べて格段に非力だからです。
  ですから、「先ずは無駄をなくす」ことが非電化の前提です。 無駄をなくして、負荷を下げてからでしたら、非電化でも快適・便利はホドホド実現できそうです。 例えば冷房――北側や床下に陽が当たらない空間を大きく用意し、ここで作られた涼しい空気を自然に取り込む。 あるいは屋根の断熱を大きくするなどの平凡な工夫で冷房負荷を半減することは容易です。 例えば暖房――昼の太陽光を十分に採り込んで蓄熱壁等に蓄えておくなどの平凡な工夫で暖房負荷を半減することも容易です。 このように、先ずは無駄をなくして負荷を下げておくことが、非電化の前提条件です。
  無駄な負荷や不必要な用途はそのままにして 「原発は不安全だから太陽電池‥‥」のような(上滑りな)議論が先行しがちです。 太陽電池も同じく強力であるが故の議論でしょう。 (さいわい)非電化は非力ですから、 先ずは無駄をなくして‥‥という正論を思い起こすきっかけになりそうです。

                                                 無駄をそのままにして‥‥ ⇒ 無駄をなくしてから‥‥

 リープ・フロッグ(跳び蛙)
       

   環境問題に関わる世界中の人々が強く憂いを表明していることの一つが「環境における南北問題」です。 北側(=工業国)いわく、「発展途上国が発展すると、地球環境がもたないから、発展しないでくれ‥‥‥」。 南側(=発展途上国)いわく、「これまで環境を悪くし、現在も悪くし続けているのは、工業国ではないか。環境を犠牲にして自分たちだけ豊かになっておいて、われわれには貧しいままでいろと言うのか?」‥‥‥という、あれです。 この悩ましくも深刻な「南北問題」に対するレスター・ブラウン博士の答が、有名な「リープ・フロッグ(跳び蛙)理論」です。
  
 ブラウン博士の「リープ・フロッグ(跳び蛙)理論」とは、こうです。工業国の技術は、エネルギー多消費型・化学物質依存型の側面が強く、環境・安全の尺度で見ると、決して先進的ではない。 こういう技術の移転によって、発展途上国が“豊か”になろうとしている。「南北問題」の根源がここにある。エネルギー多消費・化学物質依存の悪弊に染まってしまった工業国は、それを改善するのが、関の山だ。発展途上国は、悪弊にそまっていないのだから、そんな“後進技術”を真似する必要はない。工業国よりも先進の(つまり環境を悪くしない)技術を初めから導入してしまえばよい。 そうすれば、経済発展と環境保全は矛盾しない‥‥‥工業国よりも(技術は)向こうに跳んでしまう――リープ・フロッグ(跳び蛙)というわけです。 世界中の人が膝を打ちました――「なるほど!」。15年ほど前の話です。しかし、15年の間、まったく実行されていません。  

 「リープ・フロッグ(跳び蛙理論が実行されていない理由は幾つか有りそうです。
@発展途上国は地球環境を守ることよりも、欧米的豊かさを実現することに熱心
ALeapするには発明が必要。しかし発展途上国は発明が苦手
この2つが大きな理由です。一方、欧米的物質文明はお手本も、工業国からの支援も有ります。 欧米追随になってしまうのはいたし方ありません。 私自身発明家ですから、よく解るのですが、人間の発想はJump はしても、Leap はできないのです。 工業国の発明家にとっては、これらの発明はLeapではなくてJumpですから、これはできる理屈です。 つまり、工業国の発明家の仕事だったというわけです。
 
 我田引水のきらいもありますが、非電化製品を発明して発展途上国の人々にプレゼントしようと思い立った初めの動機はこれです。 非電化製品を先進(?)工業国の発明家が発明し、途上国(?)の企業家が作って売る。 途上国に産業と雇用が生まれますが、この産業は環境負荷が小さい産業です。 自国で十分に実用化してから先進(?)工業国に輸出する。 貧富の差が縮まり、先進工業国の環境もよくなっていいと思うのですが如何でしょうか?    
   
               
先進(?)工業国の後追い 
 ⇒ 跳び越して先に行く

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